狭間の数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 09:18 UTC 版)
姫路城は、かつて鉄砲狭間が2,500箇所から4,000箇所以上あったとされ、戦時下では最大で4千人もの鉄砲隊が活動できるよう想定して作られていたことがわかる。いわば狭間の数は、籠城戦において、どれだけの弓兵・砲兵の数が活動できるかも示している。鉄砲戦を想定して築かれた松本城でも鉄砲狭間の数は115であり、松本城の約35倍の数にもなる姫路城の狭間の多さがわかる。これは松本藩が5万石以上の中藩で、姫路藩が50万石を超える大藩、すなわち財力・兵数を養える規模にも影響されるといえる(中藩でも狭間数が100を超える城の例)。 高知城では、本丸に備えられた狭間だけで61あり、本丸を囲まれた際も、61ヵ所から攻撃できる設計になっている。
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