牧野忠義
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牧野 忠義(まきの ただよし、宝暦8年1月23日(1758年3月2日) - 享和3年7月2日(1803年8月18日))は、旗本第6代三根山領主(石高6000石)。第5代牧野忠知の嫡男。通称は銕蔵、縫殿、半右衛門。官名は播磨守。妻は大久保忠丘の娘。子女に、牧野忠救、牧野銕蔵、秋月鎌吉、松平定規室、太田資統室。宝暦5年(1755年)生まれとも。
天明5年(1785年)に父が致仕し家督を継ぐ。天明6年(1786年)定火消となり、布衣を許された。寛政10年(1798年)百人組頭となる。享和2年(1802年)10月8日より翌年7月16日まで、甲府勤番支配を務める。大火にみまわれた時、公儀米蔵を無断で開き領民を救った。
系譜
- 父:牧野忠知
- 母:不詳
- 妻:大久保忠丘の娘
- 生母不明の子女
- 男子:牧野忠救
- 男子:牧野銕蔵
- 男子:秋月鎌吉
- 女子:松平定規室
- 女子:太田資統室
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』
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