爰延とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 爰延の意味・解説 

爰延

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 04:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

爰 延(えん えん、生没年不詳)は、後漢官僚は季平。本貫陳留郡外黄県

経歴

清貧な生活に耐えて学問を好み、経書に通暁して人に教授するようになった。実直な性格で、寡黙であった。県令の牛述に召し出されて、その下で廷掾をつとめ、范丹を功曹とし、濮陽潜を主簿とした。後に史昭を郷嗇夫にして、仁政をおこなわせた。2年後、州府に召請されたが、就任しなかった。桓帝のときに博士として召し出され、太尉楊秉らによって賢良方正に挙げられ、2回転任して侍中となった。

桓帝が上林苑に遊んだとき、「朕はいかなる君主だろうか」と訊ねると、爰延は「陛下は漢の中主であります」と答えた。桓帝が「何を根拠にそういうのか」と訊ねると、爰延は「尚書令陳蕃に政事を任せて王化を進めたり、中常侍宦官たちに政事に干渉させて社会を混乱させたりと、これらのことから陛下が善と不善の両方とともにあると判断すべきと知れます」と答えた。桓帝は前漢朱雲になぞらえて爰延の直言を評価し、爰延を五官中郎将に任じた。

爰延は長水校尉に転じた。魏郡太守として出向し、また洛陽に召還されて大鴻臚に任じられた。後に病を理由に引退を願い出て家に帰った。霊帝が再び召し出そうとしたが、爰延は洛陽に行くことなく、病没した。

子の爰驥[1]は、白馬県令となり、また善士と称された。

脚注

  1. ^ 謝承『後漢書』によると、名を興といい、字を驥とする。

伝記資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  爰延のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「爰延」の関連用語

1
100% |||||

2
36% |||||

3
2% |||||

爰延のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



爰延のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの爰延 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS