澁澤金蔵 (先々代)
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澁澤 金蔵(しぶさわ きんぞう、1829年 - 没年不明)は、日本の商人、慈善家、政治家。群馬県多額納税者[1]。族籍は群馬県平民[2]。
人物
上野国新田郡太田町(現・群馬県太田市)に生まれた[1]。周蔵の長男[1]。母を亡くし、13歳の頃父を助けて質屋古着商を営むが失敗[1]。ことごとく資本を失う[1]。ほとんど赤貧洗うがごとしの状態となった[1]。18歳の頃その目的を父に告げて家を出た[1]。他郷に周遊し多くの苦労をしたがついに意を果たさず、嘉永4年家に帰り一小太物店を開いた[1]。
前の負債は元利益々嵩み債主の督促はいよいよ厳しくなったため、いったん家を売却して償還することを父に告げたが父は許さなかった[1]。ついに承諾を得て、ただ土蔵のみを売却して返金した[1]。安政元年、父の業を継ぎ再び質店を営んだ[1]。同6年、横浜が開港され、活発の取引をした[1]。巨万の資財を積むに至った[1]。
慶応3年以来地方窮民に金穀を施与しその他公私事業に金円を義捐した[1]。1887年、家政を嫡子直次郎に譲り退隠した[1]。町会議長及衛生組長となった[1]。
家族・親族
- 澁澤家
脚注
参考文献
- 山中啓一『群馬県貴族院多額納税者列伝』山中啓一、1890年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
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