源成・南隆農場の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 09:06 UTC 版)
対岸からの撤退後、愛久澤は、1909年(明治42年)台中州北斗郡二林庄において官有予約開墾許可地と隣接民有地を買収し、日本人小作移民を収容して小作制大農場を経営するため、三五公司源成農場を設立した。日本人小作人の収容を目的としたのは、官有予約開墾地の払下げにあたって「日本からの植民を受け入れること」という厳格な要件が付与されていたからである。そのため同農場の開設にあたっては、手厚い保護がされていた。にもかかわらず、日本人小作移民の離散が早くから始まった。同じく1909年(明治42年)には、高雄州旗山郡にある吉祥庄等に官有予約開墾地と隣接民有地を買収して、三五公司南隆農場を開設した。前述源成農場から離れた日本人小作移民を再度この南隆農場に収容したが、これも成功しなかった。この後両農場とも客家系台湾人を収容して小作制大規模農場が経営された。
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