渥美線機銃掃射事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/05 09:48 UTC 版)
渥美線機銃掃射事件(あつみせんきじゅうそうしゃじけん)とは、1945年(昭和20年)8月14日、三河田原駅を発車し豊橋方面へ向かう名古屋鉄道(名鉄)渥美線(現・豊橋鉄道渥美線)の電車が、現在の愛知県田原市豊島町天白地内で、米軍の戦闘機により機銃掃射された事件[1][2][3]。
背景
戦時中の渥美線は、多くの兵士や動員学徒、徴用工員らを駐屯地や軍需工場へと運んでいた[4]。元小学校校長であり後述の「前日物語」の作成に注力した山田政俊は、前年の1944年(昭和19年)7月にサイパンの戦闘で日本軍が全滅した時期以降に、米軍機が日本本土の空襲が顕著になり、この事件につながったと語っている[5]。
記録
銃撃があった隣村の神戸村役場の当日の日誌には、「15名即死、16名重軽傷」と記録がある[6]。戦時下の出来事だったため、報道がされることがなく、調査もほとんどされていなかったために、事件の詳しい状況が載っている資料がなかったが、豊川流域研究会が2014年から2015年の2年間で当時の乗客や目撃者へ聞き取り調査を行い、証言録を作成している[7][8]。
のちに事件を長年語り継ぐ彦坂昭市は機銃掃射のあった当日、戦闘機2機を目撃している[9][10]。また別の資料では、機銃掃射を行った戦闘機は米軍のP51戦闘機3機とされている[1][3]。豊橋鉄道の資料では事件が起きたのは旧天白駅付近としている[11]。
前日物語
「前日物語」とは終戦前日に起きた渥美線機銃掃射事件を伝える紙芝居である。事件の惨劇を次世代に伝えるため、2015年の夏に山田政俊の呼びかけで「前日の会」が発足し、出前授業を開き、空襲体験を語り継いでいる[12]。
令和元年度市民提案型委託事業として、NPO法人たはら広場、田原市図書館によって「前日物語」の紙芝居の動画が制作された[13]。 紙芝居の実演動画は『前日物語 昭ちゃんの紙芝居実演(田原市図書館デジタルアーカイブ)』に公開され[14]、田原市図書館の職員による紙芝居読み聞かせ動画『前日物語(田原市図書館デジタルアーカイブ)』[15]はオープンデータ東三河にオープンデータ『前日物語(紙芝居読み聞かせ動画)』として公開されている[16]。
出典
- ^ a b 田原町文化財保護審議会、田原町史編さん委員会 編『田原町史』 下巻、田原町, 田原町教育委員会、1978年、453頁。 NCID BN02484060。
- ^ 「渥美半島の空襲の爪痕広げ」『東日新聞』2024年8月13日。
- ^ a b “<回想列車 渥美線にゆられ>(15) 神戸駅:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 「刻まれた記憶 戦後60年(5) 8月14日の悲劇 渥美線電車に機銃掃射」『中日新聞』2005年8月13日付朝刊、東三河版、24頁
- ^ “終戦直前の悲劇”. 東愛知新聞. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 『証言 戦後70年 半島と戦争』田原市博物館、2015年7月、25頁。
- ^ 『証言 渥美線電車機銃掃射 ―1945年8月14日の記憶―』豊川流域研究会、2015年3月31日、前文 1頁。
- ^ 「回想列車 渥美線にゆられ 神戸駅⑮ 戦禍の証言録 後世へ」『中日新聞』2020年7月22日。
- ^ 『続 証言 渥美線電車機銃掃射 ―1945年8月14日の記憶と記録―』豊川流域研究会、2016年3月31日、27頁。
- ^ 「終戦前日 田原の悲劇語り継ぐ 渥美線電車機銃掃射 証言者の彦坂さん、自作紙芝居」『朝日新聞』2020年8月24日。
- ^ “豊橋鉄道100年史 1924-2024”. www.toyotetsu.com. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 「渥美線機銃掃射語り部などのグループ 田原市内小学校で出前授業」『東日新聞』2021年7月7日。
- ^ “田原市図書館デジタルアーカイブ”. 田原市図書館. 2024年8月25日閲覧。
- ^ 田原市図書館 (2020-06-22), 前日物語 昭ちゃんの紙芝居実演(田原市図書館デジタルアーカイブ) 2024年8月25日閲覧。
- ^ 田原市図書館 (2020-06-22), 前日物語(田原市図書館デジタルアーカイブ) 2024年8月25日閲覧。
- ^ “前日物語(紙芝居読み聞かせ動画)”. 田原市図書館/NPO法人たはら広場. 2024年8月25日閲覧。
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