浅野 直人とは? わかりやすく解説

浅野直人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/02 03:14 UTC 版)

浅野 直人(あさの なおひと、1943年 - )は、日本法学者。専門は民法環境法福岡大学名誉教授環境省中央環境審議会会長、環境科学会会長、環境アセスメント学会会長等を歴任した。

人物・経歴

愛知県名古屋市生まれ[1]山口県立宇部高等学校在学中は生徒会長を務め、1962年に卒業。1966年九州大学法学部卒業[2]。1968年九州大学大学院法学研究科修士課程修了[3]。1972年九州大学大学院法学研究科博士課程中退[4]。九州大学法学部助手を経て[2]、1972年から福岡大学法学部専任講師(民法)。1980年福岡大学法学部教授。1987年福岡大学大学院法学研究科教授併任[5]

1991年大宰府市環境審議会会長[2]。1993年中央環境審議会委員[1]。1996年環境保全功労者・環境庁長官・大臣表彰受賞。1997年学校法人福岡大学理事・法学部長[5]。1998年福岡市環境審議会会長[2]。2004年から福岡県環境審議会会長、北九州市環境審議会会長[2]。2005年環境科学会賞受賞[3]

2013年中央環境審議会会長代理[6]。2014年福岡大学法科大学院特任教授[5]、福岡大学名誉教授[2]。2015年中央環境審議会会長[1]。2017年に中央環境審議会会長を任期満了退任後も、中央環境審議会臨時委員として、地球環境部会カーボンプライシングの活用に関する小委員会、フロン小委員会等の委員長を務めた。この間、環境科学会会長、環境アセスメント学会会長[2]、環境法政策学会理事長代理、日本交通法学会理事、日本計画行政学会九州支部長・本部理事、産業構造審議会臨時委員なども歴任した[3]。2023年、瑞宝中綬章受章[7][8]

著書

  • 『環境・防災法』(共著)ぎょうせい 1986年
  • 『中国民法の研究』(野村好弘と共編著)学陽書房 1987年
  • 『環境影響評価の制度と法 : 環境管理システムの構築のために』信山社出版 1998年
  • 『環境法』(柳憲一郎と共編)法学書院 2010年

脚注

  1. ^ a b c リニア着工 元中央環境審議会長、浅野福岡大名誉教授に聞く中日新聞2020年6月18日 05時00分
  2. ^ a b c d e f g 九州かたばみ会 会長ご挨拶九州かたばみ会
  3. ^ a b c 浅野 直人 アサノ ナオヒト (Naohito Asano)researchmap
  4. ^ 浅野直人 プロフィールHMV&BOOKS online
  5. ^ a b c 第42回 中央環境審議会会長の浅野直人さんに聞く、中環審の役割と、“環境配慮の必要性”を主流化するために大事にすること一般財団法人環境イノベーション情報機構
  6. ^ 第19回中央環境審議会総会議事録環境省
  7. ^ 『官報』号外第93号、令和5年5月1日
  8. ^ 令和5年春の叙勲 瑞宝中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2023年4月29日). 2023年5月2日閲覧。
先代
島津康男
環境アセスメント学会会長
2004年 - 2008年
次代
鹿島茂
先代
山本良一
環境省中央環境審議会会長代理
2013年 - 2015年
次代
坂本和彦
先代
武内和彦
環境省中央環境審議会会長
2015年 - 2017年
次代
武内和彦

浅野 直人(あさの なおと)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 15:05 UTC 版)

絶体絶命ゲーム」の記事における「浅野 直人(あさの なおと)」の解説

倒産しそう父親会社のために絶体絶命ゲーム参加した少年

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2007年東京都知事選挙2007年4月の東京都知事選挙への出馬待望論が民主党内で沸き起こった。背景には民主党が都議会で与党だったにも拘らず独自候補の擁立を図る小沢執行部の方針と人選がなかなか決まらぬお家事情があり、党中央の要職にある菅本人が出馬の可能性を否定し続ける中、石原慎太郎東京都知事に対抗できる目玉候補として朝日新聞などにも立候補を促された。しかし「国政に携わり政権交代を実現する」ため「太陽が西から出ても、出ることはない」と固辞を貫いた。その一方で浅野史郎前宮城県知事など党内外の知名度の高い人物に出馬を打診したとされるがことごとく失敗した。この問題では、菅直人と親交関係にある五十嵐敬喜法政大学教授や当時・菅グループのメンバーで民主党都連会長円より子らが立ち上げた市民団体「浅野史郎さんのハートに火をつける会」などの説得に応える形で浅野が立候補を決意したことで、民主党は独自候補の擁立を見送って社民党などとともに支援に回ることとなったが、浅野があまり都政に精通していなかったことやなかなか決断せず立候補の表明が遅れたこと、さらに日本共産党が擁立した吉田万三前足立区長との一本化に失敗したことなどが響き、浅野は石原知事に惨敗した。ガソリン国会
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