沢本与一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 沢本与一の意味・解説 

沢本与一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 07:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
沢本与一

沢本 与一(さわもと よいち、1880年明治13年)5月17日[1] - 1935年昭和10年)1月16日[2])は、日本の衆議院議員憲政会立憲民政党)、ジャーナリスト

経歴

山口県玖珂郡岩国町(現在の岩国市)出身。早稲田大学政治経済科を卒業し、新潟新聞や大阪新報の主筆を務めた。その後、久原鉱業株式会社で秘書役や北京事務所所長を務めた。

加藤高明内閣第1次若槻内閣江木翼司法大臣の秘書官を務め、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙で当選。その後、第17回第18回の総選挙でも当選した。第2次若槻内閣では江木鉄道大臣の秘書官を、齋藤内閣では外務参与官を務めた。1933年(昭和8年)から翌年まで東京市助役

脚注

  1. ^ 衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、27頁。
  2. ^ 『官報』第2412号、昭和10年1月19日

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「沢本与一」の関連用語

沢本与一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



沢本与一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの沢本与一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS