正法寺 (三木市)とは? わかりやすく解説

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正法寺 (三木市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:45 UTC 版)

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正法寺
所在地 兵庫県三木市別所町正法寺157
位置 北緯34度48分7.58秒 東経134度56分9.01秒 / 北緯34.8021056度 東経134.9358361度 / 34.8021056; 134.9358361
山号 鉾礼山
宗派 高野山真言宗
本尊 十一面千手観音菩薩
創建年 大化5年(649年)
開基 伝・法道仙人
中興年 (年代不詳)
中興 奥蓮上人
正式名 鉾礼山正法寺
札所等 播磨西国三十三箇所23番
法人番号 8140005006145
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正法寺(しょうぼうじ)は兵庫県三木市別所町にある高野山真言宗仏教寺院。山号は鉾礼山(むれいざん)。本尊は十一面千手観音菩薩

歴史

法道仙人により開基され、大化5年(649年)創建された。天禄年間(970〜972年)に円融天皇の勅願道場となった。最盛期には7院12坊まで拡大したがその後衰退した。奥蓮上人により3院7坊まで中興再建された。しかし、天正8年(1580年)、三木合戦の折、羽柴秀吉軍の兵火に逢い焼失した。[1]

天正11年(1583年)快秀上人により3院3坊を再建され、続いて慶長16年(1611年)、長勢上人により大師堂・開山堂が、翌年には本坊(金剛院)が再建された。元和元年(1615年)、明石城主小笠原忠政より石高20石を寄進された。慶安元年(1648年)徳川家光より御朱印を下賜され、以後、歴代の将軍より御朱印を下賜された。

江戸時代末期まで金剛院、真如院、大乗院が残ったが、明治維新の廃仏毀釈により約20年間無住となり荒れ果てた状態となった。明治22年(1889年)石野大秀により復興され、金剛院を修復した。大正13年(1924年)金剛院境内に山門を建立し、昭和28年(1953年)大師堂を本堂横より現在地に移転した。しかし、昭和48年(1973年)台風と老朽化により本堂が倒壊し、以後再建されないままである。平成元年(1989年)開創1340年および近代復興100年記念事業として、境内に曼荼羅の丘が建設された。

前後の札所

22 掎鹿寺23 正法寺 - 24 高薗寺

境内

  • 金剛院
  • 大師堂
  • 山門
  • 曼荼羅の丘
  • 護摩祈願所
  • 白寿観音(延命 ぼけ封じ)
  • 平成観音

所在地

〒673-0454 兵庫県三木市別所町正法寺157

交通アクセス

周辺情報

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 三木 地名 p78

参考文献

  • 播磨西国三十三カ寺巡礼 藤木 明子 著、金田 弘 監修 神戸新聞出版センター
  • 神戸新聞総合出版センター・編 編 『兵庫県の難読地名がわかる本』(第一冊発行版)のじぎく文庫、2006年12月28日。ISBN 4-343-00382-5 



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