桧ヶ山城とは? わかりやすく解説

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檜ヶ山城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/13 08:23 UTC 版)

檜ヶ山城
島根県
檜ヶ山
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 東郷忠光か
築城年 大永年間か
主な改修者 東郷忠光、多久義敷、毛利氏
主な城主 東郷忠光、多久義敷、毛利氏
廃城年 不明
遺構 郭、土塁、堀切、井戸
指定文化財 なし
位置 北緯35度29分6.89秒 東経132度50分7.3秒 / 北緯35.4852472度 東経132.835361度 / 35.4852472; 132.835361
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檜ヶ山城(ひがせんじょう / ひのきがせんじょう)は、島根県出雲市多久町にあった日本の城

概要

地元の小学校の校歌にも登場し、「檜山富士」とも呼ばれるたおやかな山容の檜ヶ山(桧ヶ仙とも)山頂に築かれた山城で、古くは大永年間に東郷忠光が拠ったと伝わる。

1562年毛利氏侵攻時には毛利方に攻められ、多久義敷率いる城方は良く守り、一度は防いだものの、善戦虚しく落城した。

元亀年間の尼子氏残党の蜂起に際しては、毛利氏が改修し在城したことが文献記録からわかる。

遺構

現在も城下には五輪塔が点在しており、周囲には支城の遺構もある。山上の城郭遺構も良く残り、区域によって郭や切岸の普請の度合いに差があることから、毛利氏による改修の事実を伺わせるものとなっている。しかし、檜ヶ山への登山道は荒れている上に山頂付近は急峻であり、案内板等もほとんどないことから、登城には注意が必要である。

沿革

  • 大永年間、東郷忠光が拠った。
  • 1562年永禄5年)毛利氏の出雲侵攻により、多久義敷の善戦も虚しく落城。
  • 1571年元亀2年)尼子氏残党の蜂起を受けて、毛利氏が改修。




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