柳述とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 柳述の意味・解説 

柳述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 19:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

柳 述(りゅう じゅつ、生没年不詳)は、官僚は業隆。本貫河東郡解県

経歴

柳機の子として生まれた。若くして父の蔭官により、太子親衛となった。後に蘭陵公主楊阿五文帝の五女)を妻としたため、開府儀同三司の位を受け、内史侍郎となった。皇婿たちの中でもっとも文帝に尊重された。判兵部尚書事をつとめた。ひとたび父の喪のため職を去ったが、まもなく給事黄門侍郎として復帰し、建安郡公の爵位を嗣いだ。仁寿年間、判吏部尚書事をつとめた。

柳述は楊素と対立し、度々彼を侮辱した。文帝も柳述を重んじて楊素を疎んじるようになった。柳述は兵部尚書に任ぜられたが、自ら功績のないことを申し述べて辞退したので摂兵部尚書事とされた。

604年、文帝は仁寿宮で病の床につき、柳述は楊素や元厳らとともに宮中で近侍した。ときに皇太子楊広陳貴人に無礼なふるまいをしたので、文帝はこのことを知って激怒し、柳述に命じて房陵王楊勇を召し出させようとした。柳述と元厳は部屋の外に出て勅書を作成した。楊素はこれを聞いて、楊広と共謀し、柳述と元厳の二人が詔を偽ったとして捕らえさせた。煬帝(楊広)が即位すると柳述は官爵を奪われ、蘭陵公主と離縁させられた。嶺南竜川郡に流されることとなり、蘭陵公主は柳述との同行を願い出たが、煬帝は許さなかった。柳述は竜川郡にいること数年、さらに寧越郡に移され、風土病のために死去した。享年39。

伝記資料

  • 隋書』巻47 列伝第12
  • 北史』巻64 列伝第52



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柳述」の関連用語

柳述のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柳述のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柳述 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS