柳川重信_(2代目)とは? わかりやすく解説

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柳川重信 (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/24 23:58 UTC 版)

二代目 柳川重信(にだいめ やながわ しげのぶ、生没年不詳)とは、江戸時代浮世絵師

来歴

初代柳川重信の門人・養子。本姓は谷城、俗称季三太。は子儀。儒学者・志賀理斎の三男。艶川好信、谷城柳川、雪蕉斎、松影と号す。谷中天王寺北に住む。初代重信に学び、初め重山と称した。その後初代重信の養子となり、初代重信の没後天保3年(1832年)に二代目重信を襲名した[1]。作画期は天保から安政の頃にかけてで錦絵の他、読本人情本狂歌本の挿絵を残す。馬琴の著作『侠客傳第二輯』の挿絵を初代の重信に代わって描いたのが重山と号していた頃のことという。

作品

版本

肉筆画

作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款 印章 備考
谷中真景図 絹本著色 まくり 31.6x128.8 クラクフ国立美術館[2] 1839年(天保10年) 「柳川重信」 「重信之印」朱文方印 志賀理斎・原徳(得)斎賛。徳斎と二代目重信は兄弟で、親子3人で谷中に住んでいたようだ。都市化した現代では考えられない田園風景が広がっており、かつての谷中の情景を知る資料としても貴重。
三囲神社真景図 絹本著色 まくり 26.2x85.0 クラクフ国立美術館[2]

脚注

  1. ^ 野崎左文『増補私の見た明治文壇1』平凡社、2007年、148p頁。 
  2. ^ a b 平山郁夫 小林忠編著 『秘蔵日本美術大観 十 クラクフ国立美術館』講談社、1993年5月25日、第17,18図。ISBN 4-06-250710-2

参考文献

  • 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年 ※47頁



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