柳崇とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 柳崇の意味・解説 

柳崇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 09:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

柳 崇(りゅう すう、生没年不詳)は、北魏官僚政治家は僧生。本貫河東郡解県

経歴

秀才に挙げられ、太尉主簿・尚書右外兵郎中を初任とした。河東郡と河北郡の塩池をめぐる境界争いを調停するため、孝文帝の命を受けて検断におもむいた。また荊州郢州の新領土の民心を安定させるために派遣された。帰還すると、太子洗馬・河東郡邑中正となった。中塁将軍・散騎侍郎に転じた。司空司馬となり、衛尉少卿を兼ね、また邑中正を兼ねた。河北郡太守として出向した。在官のまま死去した。享年は56。輔国将軍・岐州刺史の位を追贈された。は穆といった。

逸話

柳崇が河北郡太守となったとき、郡民の張明の馬が盗まれる事件が起こって、十数人が疑われた。柳崇はおのおのと面談して雑談をしながら様子をうかがい、真犯人の呂穆ら2人を捕らえて、残りは釈放した。

子女

  • 柳慶和(軽車将軍・給事中・河東郡邑中正)
  • 柳楷(字は孝則、中軍将軍、撫軍司馬)

伝記資料

  • 魏書』巻45 列伝第33
  • 北史』巻27 列伝第15



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柳崇」の関連用語

柳崇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柳崇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柳崇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS