松角武忠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 05:44 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動松角 武忠(まつずみ たけただ、1865年3月7日(慶応元年2月10日[1][2]) - 1912年(明治45年)4月9日[3][4])は、明治時代の銀行家、政治家。俳号に四海庵天禄[4]。
経歴
江戸出身[4]。山下省二の男[注 1]として生まれ松角武重の養子となる[1]。
東京市の水道計画の不備を指摘し、おされて1892年に下谷区会議員となり[5]、のち1895年に東京市会議員[6]、1903年に同府会議員を歴任した[4][7]。1901年(明治34年)昌平銀行[注 2]を創立して頭取となった[4]。
親族
脚注
注釈
出典
参考文献
- 人事興信所 編 『人事興信録 初版』 人事興信所、1903年 。
- 古林亀治郎 編 『現代人名辞典』 中央通信社、1912年 。
- 人事興信所 編 『人事興信録 第8版』 人事興信所、1928年 。
- 大植四郎 編 『国民過去帳 明治之巻』 尚古房、1935年 。
- 東京市下谷区 編 『下谷区史』 東京市下谷区、1935年 。
- 上田正昭ほか 監修 『講談社日本人名大辞典』 講談社、2001年。ISBN 4062108496。
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