松永 拓也とは? わかりやすく解説

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松永拓也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/11 04:56 UTC 版)

松永 拓也
イェリマイ・セメイ時代の松永
名前
カタカナ マツナガ タクヤ
ラテン文字 MATSUNAGA Takuya
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1990-06-10) 1990年6月10日(34歳)
出身地 京都府亀岡市
身長 174cm
体重 68kg
選手情報
在籍チーム PSBSビアク
ポジション MF(CMF)
背番号 18
利き足 右足
ユース
京都紫光
2006-2008 伏見工業高校
2009-2010 関西学院大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
DRIP
2011-2015 FC北陸
2016-2017 ウテニス・ウテナ 16 (0)
2017-2018 タリナ・カレフ 41 (5)
2019 6 (0)
2019 カルテン・プトラ 17 (2)
2020-2022 プルシプラ・ジャヤプラ 29 (0)
2022 FCドルドイ・ビシュケク 13 (1)
2023-2024 イェリマイ・セメイ 24 (0)
2024- PSBSビアク 18 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2025年2月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松永 拓也(まつなが たくや、1990年6月10日 - )は、京都府亀岡市出身のプロサッカー選手。ポジションはMF

クラブ歴

京都市立伏見工業高等学校卒業後、関西学院大学へ進学するも[1]、サッカーに熱中するあまり単位が取れず中退[2]

DRIPを経て、友人の紹介で2011年FC北陸に入団。Jリーグクラブのトライアウトを受験するも入団に至らず、2016年にリトアニアFKウテニス・ウテナへ移籍。

その後、JKタリナ・カレフKÍクラクスヴィークに在籍した[1]

2019年にインドネシアのカルテン・プトラFCに移籍[1]。翌年、プルシプラ・ジャヤプラに移籍し、開幕節からスターティングメンバーとして出場した[3]

2022年、キルギスFCドルドイ・ビシュケクに移籍し、キルギス・プレミアリーグ初の日本人選手としてプレーした[4]

2023年、カザフスタンのイェリマイ・セメイ(2部リーグ所属)に移籍。同国リーグ初の日本人選手となった[5]

2024年、インドネシアのPSBSビアクに移籍。

参考文献

  1. ^ a b c 松永拓也がカルテン・プートラ(インドネシア)と契約致しました”. Goal Sports Agency (7 September 2019). 17 June 2020閲覧。
  2. ^ (日本語) 【海外サッカー挑戦のリアルを学ぶ】ヨーロッパとアジアを知る松永拓也に聞いた挑戦のリアル《 挑戦者の軌跡 #03 》, https://www.youtube.com/watch?v=vdsDAEDPoPA 2024年4月8日閲覧。 
  3. ^ 松永選手・中村選手の開幕戦の結果”. SAMURAI BOLA (3 March 2020). 17 June 2020閲覧。
  4. ^ Takuya Matsu34 @YaMatsunaga X”. X(旧Twitter). 2024年4月8日閲覧。
  5. ^ Takuya Matsu34 @YaMatsunaga X”. X(旧Twitter). 2024年4月8日閲覧。

関連項目

外部リンク




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