松平玄成とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松平玄成の意味・解説 

松平玄成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 21:12 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
松平玄成
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛永9年7月14日(1632年8月29日
別名 十三郎、八郎左衛門[1]
戒名 利慶源俊
主君 徳川家康徳川頼宣
氏族 深溝松平家
父母 父:松平伊忠、母:鵜殿長持次女
兄弟 家忠、忠勝、伊長、玄成、松意、
ちいは、おさち、萬松院、おいち
テンプレートを表示

松平 玄成(まつだいら はるしげ、生年不明 - 寛永9年7月14日(1632年8月29日))は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将深溝松平家松平伊忠の四男[2]

人物

3代当主・松平伊忠の四男として誕生。天正10年6月2日1582年6月21日)に徳川家康らとともに河内へ滞在し、小姓として伊賀越えに随行している[3][4]

後に、家康の命により紀州徳川家徳川頼宣の家臣となった。[1]

脚注

  1. ^ a b 寛政重修諸家譜』第1輯(国民図書、1922年)巻第二十九、p.153
  2. ^ 愛知県史
  3. ^ 徳川家康・伊賀越えの危難
  4. ^ 徳川家康

参考文献

  • 川崎文隆『徳川家康・伊賀越えの危難』(鳥影社、1985)
  • 愛知県史: 織豊 1-4 - 574p(1999)
  • 『徳川家康』 192p(1983)[要文献特定詳細情報]
  • 『家康と松平一族』 安城市歴史博物館編集(2021年発行) P.38~42深溝家



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  松平玄成のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平玄成」の関連用語

松平玄成のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平玄成のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松平玄成 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS