松平忠倫_(戦国時代)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松平忠倫_(戦国時代)の意味・解説 

松平忠倫 (戦国時代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/21 02:24 UTC 版)

松平 忠倫(まつだいら ただとも、生年不詳 - 天文16年(1547年))は、戦国時代武将。通称三左衛門。佐々木松平家松平信次は弟か [1]

略歴

長沢松平家の庶流で、佐々木城、上和田城(共に愛知県岡崎市)城主。天文9年(1540年)頃より織田信秀に内通し、松平広忠に逆心した[2]

三河物語』によれば、天文16年(1547年)、松平広忠方の筧重忠とその弟筧正重(助太夫)に暗殺された[2]。また、松平三左衛門と忠倫は別人だとする説もある[2]

参考文献

  • 『尾張群書系図部集第 2 巻』(続群書類従完成会、1997年、964p)
  • 『通俗日本全史第9巻』( 早稲田大学出版部 、1913年、154p)

脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  松平忠倫_(戦国時代)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平忠倫_(戦国時代)」の関連用語

松平忠倫_(戦国時代)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平忠倫_(戦国時代)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松平忠倫 (戦国時代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS