松山兼三郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松山兼三郎の意味・解説 

松山兼三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/13 01:38 UTC 版)

松山 兼三郎(まつやま かねさぶろう、1874年11月3日[1] - 1942年3月9日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

愛知県出身[2]1893年、愛知県尋常中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)卒。陸軍に入り、歩兵中尉となり、日清戦争日露戦争に参加する[2]。帰国後は農業を営み、萩野村長、西春日井郡議、愛知県議を務め[2]、興農(株)支配人、(株)名古屋証券交換所取締役、帝国在郷軍人会西春日井郡連合分会長、愛知県農会幹事となる[2]

1924年第15回衆議院議員総選挙において愛知4区から政友本党公認で立候補して当選した[3]。のち新正倶楽部に移り、衆議院議員を1期務めた。1928年第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1942年死去。

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、15頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』610頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』74頁。

参考文献

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  松山兼三郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松山兼三郎」の関連用語

松山兼三郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松山兼三郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松山兼三郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS