東条冬貞とは? わかりやすく解説

東条冬貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/11 17:21 UTC 版)

 
東条冬貞
時代 江戸時代前期
生誕 不詳
死没 元禄17年1月24日1704年2月28日
別名 隼人(通称
戒名 宗夢
墓所 万昌院
氏族 清和源氏足利氏吉良氏庶流東条家
父母 父:吉良義冬、母:茂姫(酒井忠吉の娘)
養父:東条義叔
兄弟 吉良義央東条義叔義孝冬貞冬重、孝証(僧)
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東条 冬貞(とうじょう ふゆさだ)は、江戸時代前期の人物。

生涯

高家旗本吉良義冬(4200石)の四男として誕生した。母は旗本酒井忠吉(7000石)の娘。生年は不詳であるが、兄の吉良義央寛永18年(1641年)の生まれなので、冬貞が生まれたのはそれ以降となる。

吉良家の家督は長兄の義央が継ぎ、次兄の義叔は分家の旗本として東条家を興した。しかし義叔は男子に恵まれず、弟の冬貞を養子に迎え入れることとなった。冬貞は、元禄5年(1692年)11月1日にはじめて将軍徳川綱吉に拝謁する。元禄6年(1693年)からは小姓組番士となったが、元禄17年(1704年)1月24日に義叔に先立って家督前に死去した。

その後、東条家の家督は旗本柘植兄正の子である東条義武が継いだ。義武の母が吉良氏一族の荒川定昭の娘という縁である。法名は宗夢。

参考文献





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