東アングリアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 東アングリアの意味・解説 

イースト・アングリア

(東アングリア から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/08 19:33 UTC 版)

ノーフォークサフォークがイースト・アングリアの中核である。西にケンブリッジシャー、南にエセックスがある。

イースト・アングリアEast Anglia)は、イングランド東部の地方名。東のアングル人の土地という意味である。アングロ・サクソン王国時代のイースト・アングリア王国に因む。瘤のように北海に突き出した半島部を中心に、ノーフォーク州とサフォーク州全域、ケンブリッジシャーエセックスリンカーンシャーの一部を含む。 行政的にはイースト・オブ・イングランド行政圏の一部をなしている。

なお、ノーフォーク州のノリッジ西郊にイースト・アングリア大学がある。

歴史

520年頃、ノース・フォークとサウス・フォークを併せてイースト・アングリア王国が成立した。アングロ・サクソン七王国のひとつである。616年頃、レドワルド王(英:Rædwald)(在位:599年 - 624年)はライバルのノーサンブリア王国を破り、覇権を確立した。しかし、その後はマーシア王国によって3度打ち破られ衰退、794年にはマーシア王オッファの支配下に入った。825年から827年にかけてマーシアの支配に対する大反乱が起こり、イースト・アングリア王国は一時的に復興された。だが、870年デーン人エドマンド殉教王を打ち破って、イースト・アングリア王国を滅ぼした。

イースト・アングリアの名称はデーン人が付けたものである。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東アングリア」の関連用語

東アングリアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東アングリアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのイースト・アングリア (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS