東の澤井、西の福留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 05:31 UTC 版)
東の澤井、西の福留(ひがしのさわい、にしのふくどめ)は、日本の高校野球の歴史においての事柄。
概要
PL学園高校の福留孝介と、銚子商業高校の澤井良輔であり、当時のドラフト1位で左の強打者として語り継がれている。高校時代は主砲として名が知れ渡っていた[1]。2人で甲子園を沸かせる[2][3]。
この2人が初めて出会ったのは1994年の第1回アジアAAA選手権であった。このときは互いに高校2年生で、日本代表として共に戦った。この時に澤井は福留の打撃に度肝を抜かれていた。澤井は福留にバッティング理論を語られたのだが、そのようなのはそれまでに聞いた事が無いものであった[4]。
1995年には高校野球の大会初日の第3戦でこの2人が対戦した。1回表に澤井が先制ソロホームランを打ち、福留よりも先に撃ちたいと思っていた願いをかなえる。3回には福留が勝ち越しスリーランホームランを打ちスタンドを沸かせた。11回には福留が甲子園で初のマウンドに上がった。だが澤井の属する銚子商業が勝ち、PL学園はまさかの初戦敗退となった[5]。澤井の甲子園での初打席がホームランであった。後に澤井は、あのホームランはまぐれだったと語る。東の澤井、西の福留と高校野球を二分する存在となってても澤井は自身を大したことが無く運が良いだけと思っていた。福留は別格であったために、自身を冷静に客観視できていたためであった[6]。
脚注
- ^ “ブレーク待ちの元「甲子園のスター」トリオ、しくじり“先輩”の道を歩まぬためには? | AERA DIGITAL(アエラデジタル)”. AERA DIGITAL(アエラデジタル) (2020年1月26日). 2025年9月4日閲覧。
- ^ “澤井 良輔”. MOOSE SPORTS スポーツイベント 企画 運営. 2025年9月4日閲覧。
- ^ “写真・図版(1枚目)| 福留孝介、松坂大輔、中田翔らと“並び称された男”は? 甲子園では明暗も…「東」と「西」のライバル列伝”. AERA DIGITAL(アエラデジタル) (2025年3月23日). 2025年9月4日閲覧。
- ^ “「東の澤井、西の福留」の澤井良輔さん 引退発表の中日・福留孝介に「本当にありがとう」”. スポーツ報知 (2022年9月9日). 2025年9月4日閲覧。
- ^ “福留孝介、松坂大輔、中田翔らと“並び称された男”は? 甲子園では明暗も…「東」と「西」のライバル列伝 | AERA DIGITAL(アエラデジタル)”. AERA DIGITAL(アエラデジタル) (2025年3月23日). 2025年9月4日閲覧。
- ^ “澤井良輔の人生を一変させたセンバツ・PL学園戦での一発「僕は運がよかっただけなんです」 (2ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2022年3月25日). 2025年9月4日閲覧。
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