来栖七郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 来栖七郎の意味・解説 

来栖七郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/15 16:47 UTC 版)

来栖七郎

来栖 七郎(くるす しちろう、1883年明治16年)7月20日[1] - 1928年昭和3年)5月24日[2])は、衆議院議員立憲政友会)、ジャーナリスト

経歴

茨城県北相馬郡北文間村(現在の龍ケ崎市)出身。日本法律学校を経て、東京政治学校を卒業。二六新報記者、同理事、帝国通信記者、自由通信社理事などを歴任。さらに殖民協会理事長を務めた。

1924年大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第16回衆議院議員総選挙でも再選された。

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、12頁。
  2. ^ 『官報』第425号、昭和3年5月30日

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「来栖七郎」の関連用語

来栖七郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



来栖七郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの来栖七郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS