李元昌とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 李元昌の意味・解説 

李元昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 15:23 UTC 版)

李 元昌(り げんしょう、生年不詳 - 貞観17年4月6日643年4月29日))は、中国の高祖李淵の七男。漢王に立てられた。

経歴

李淵と孫嬪のあいだの子として生まれた。若くして学問を好み、隷書を得意とした。また膂力にすぐれ、騎射をよくした。

武徳3年(620年)、魯王に封ぜられた。貞観5年(631年)、華州刺史に任じられ、梁州都督に累進した。貞観10年(636年)、漢王に徙封された。梁州にあって不法な振る舞いが多く、太宗はとがめて叱責したが、李元昌はこれを恨みに思って、太子李承乾に接近した。貞観16年(642年)、長安に来朝すると、東宮に宿泊し、「殿下には早く天子となっていただきたい。今上のそばに琵琶のうまい宮人がいるが、事が成ったあかつきにはわたしに賜らんことを」と李承乾に言った。李承乾はこれを許し、臂を割いて血盟した。貞観17年(643年)、李承乾の謀反は失敗に終わり、太宗は李元昌を誅殺するのに忍びなく、一命だけは助けようとしたが、大臣の高士廉李勣らが厳しく反対した。太宗はやむをえず、李元昌を家で自殺させ、封国も除かせた。妻子は連座して庶民に落とされた。

伝記資料

  • 旧唐書』巻64 列伝第14「漢王元昌伝」
  • 新唐書』巻79 列伝第4「漢王元昌伝」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李元昌」の関連用語

李元昌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李元昌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李元昌 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS