杉尾登志光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 15:54 UTC 版)
この記事の主題はウィキペディアにおける音楽の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。(2025年4月)
|
杉尾 登志光 | |
---|---|
生誕 | 1950年(74 - 75歳) |
出身地 | ![]() |
学歴 | 武蔵野音楽大学音楽学部声楽科卒業 |
ジャンル | クラシック |
職業 | バリトン歌手 |
杉尾 登志光(すぎお としみつ、1950年〈昭和25年〉[1] - )は、日本のバリトン歌手。宮崎県宮崎市出身。徳島県を拠点とするクラシック音楽の声楽家、音楽指導者。NPO法人オペラ徳島代表[2]。
経歴
宮崎県宮崎市出身。武蔵野音楽大学音楽学部声楽科を卒業。1977年に徳島文理大学音楽学部の非常勤講師に就任した。これまでに声楽を畑中良輔、大久保昭男、古川卓一、藤田昌克、牛腸征司、伊豆山教恵に師事した[3]。森正指揮九州交響楽団によるベートーヴェン作曲「交響曲第9番」の独唱によってバリトン歌手としてデビューした。1995年、鳴門市ドイツ館で行われた国際平和フェスティバルで、徳島県有数の声楽家としてドイツリートと反戦歌「原爆を許すまじ」を歌った[4]。
NPO法人オペラ徳島を長きにわたって牽引した[5]。オペラ徳島は1997年に徳島県民オペラとして徳島市で発足し、1998年にオペラ徳島と改称し[6]、1999年にNPO法人として認証された団体で、杉尾が代表を務める[2]。他に鳴門市「第九を歌う会」指導委員、阿南少年少女合唱団常任指揮者、クレープマートル美馬指揮者などを歴任した[7]。
脚注
- ^ 廣潤社『全国大学職員録第2部』1988年
- ^ a b 「特定非営利活動法人 オペラ徳島」NPO法人ポータルサイト、内閣府。2025年4月30日閲覧。
- ^ 徳島新聞社『徳島年鑑第1部』1995年
- ^ 吉成専資 "ヒロシマの日に響いた「第九」"『軍縮問題資料』宇都宮軍縮研究室、1995年12月、No.181、67頁。
- ^ 後藤田正純「第26回徳島県民文化祭 特別協賛事業#NPO法人オペラ徳島 『愛の妙薬 』」instagram。2025年4月30日閲覧。
- ^ 「オペラ徳島の歩み」『Welcome to オペラ徳島』。2025年4月30日閲覧。
- ^ “ワインでオペラ公演PR【生活文化部発よもやま話】89”. 徳島新聞. 2025年4月3日閲覧。
- 杉尾登志光のページへのリンク