木付親重とは? わかりやすく解説

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木付親重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 02:03 UTC 版)

 
木付親重
時代 鎌倉時代
生誕 嘉禄元年(1225年
死没 弘安8年2月18日1285年3月25日[1]
別名 六郎
官位 肥前守検非違使別当大炊介[2]
幕府 鎌倉幕府
氏族 大友氏→木付氏
父母 父:大友親秀、母:佐原家連娘
兄弟 大友頼泰、戸次重秀、野津原能泰、狭間直重、野津頼宗、木付親重、田北親泰、大友親盛
能重
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木付 親重(きつき ちかしげ)は、鎌倉時代武将。木付氏初代当主。豊後国竹ノ尾城主。

大友親秀の六男。建長元年(1249年)に将軍・藤原頼嗣に謁見し従五位に叙せられる。鴨川に居を構え、木田村台山城を築城した[3]弘長から文永年間の間に竹ノ尾城を築き居城を移した。

弘安4年(1281年)の弘安の役の際には博多に出陣し、敵船5隻を拿捕する武勲を立てる。弘安8年(1285年)、竹ノ尾城にて死去。

脚注

  1. ^ 佐藤末喜「狭間氏について」『大分縣地方史』第202巻、大分県地方史研究会、2008年2月、71-90頁、CRID 1050845762583729408 
  2. ^ 豊後国志
  3. ^ 豊後国志』、『豊後後考』

参考文献




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