曽根原弘とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 曽根原弘の意味・解説 

曽根原弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 02:54 UTC 版)

曽根原弘

曽根原 弘(そねはら ひろし、1902年(明治35年)10月7日[1][2] - 1939年(昭和14年)4月25日[3])は、昭和時代前期の台湾総督府官僚台中市尹

経歴・人物

長野県北安曇郡大町(現・大町市)に生まれる[1]長野県立大町中学校松本高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治科に入学[1]。在学中の1925年(大正14年)11月[4]高等試験行政科に合格し、翌年大学を卒業し、渡台する[1]

台湾総督府専売局書記として庶務課勤務を皮切りに、専売局副参事、台北州七星郡守、台南州虎尾郡守を経て、1933年(昭和8年)10月、台中市尹に就任した[1]。ついで1935年(昭和10年)9月、台南州内務部教育課長に転じた[1]。1939年4月、台湾総督府税関長在任中に死去した[3]

脚注

  1. ^ a b c d e f 台湾新民報社 1937, 199頁.
  2. ^ 唐澤 1937, 145頁.
  3. ^ a b 『官報』第3716号、昭和14年5月29日。
  4. ^ 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年、253頁。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「曽根原弘」の関連用語

曽根原弘のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



曽根原弘のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの曽根原弘 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS