昭公_(戦国宋)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 昭公_(戦国宋)の意味・解説 

昭公 (戦国宋)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/07 01:19 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search

昭公(しょうこう、? - 紀元前404年)は、春秋戦国時代の君主(在位前469年 - 前404年)。姓は子、名は特、あるいは得。公孫周の子。元公の曾孫にあたる。

春秋左氏伝』によると、宋の景公に子がなかったため、公孫周の子の得とが養子に迎えられた。紀元前469年10月、景公が死去すると、景公の寵臣の大尹が啓を宋公に擁立した。右師の皇瑗・大司馬の皇非我・司徒の皇懐・左師の霊不緩・司城の楽茷・大司寇の楽朱鉏ら六卿がこれに反対したため、大尹は啓を連れてに亡命した。六卿たちは得(昭公)を宋公に擁立した。

いっぽう『史記』によると、公子特(昭公)は公孫糾の子であり、景公が父を殺したことを恨んでいた。景公が死去すると、公子特は太子を殺して自ら即位したという。

韓詩外伝』によると、昭公はひとたび国を追われたが、過ちを反省して行いを改めると、2年経たないうちに宋人に迎えられて復位した。

参考文献

  • 『春秋左氏伝』哀公26年
  • 『史記』宋微子世家第8
  • 『韓詩外伝』巻6



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「昭公_(戦国宋)」の関連用語

1
72% |||||

昭公_(戦国宋)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



昭公_(戦国宋)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの昭公 (戦国宋) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS