星野助左衛門
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星野 助左衛門(ほしの すけざえもん、1855年(安政元年12月[1][2]) - 1919年(大正8年)8月2日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
上総国望陀郡平山村[注釈 1](のち千葉県君津郡松丘村→上総町→君津町→君津市)出身[1]。生家は名主で[1]、怒田村(のち久留里町→上総町→君津町→君津市)筆生[2]、村衛生委員、平山村外一村戸長、学務委員、松丘村長、同村会議員、郡徴兵参事員、同勧業委員[2]、千葉県農会名誉議員、日本赤十字社終身社員となる[3]。
1898年8月の第6回衆議院議員総選挙において千葉7区から憲政本党公認で立候補して当選した[4]。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1919年に死去した。
脚注
注釈
- ^ 『衆議院議員列伝』91頁では「松丘村」。
出典
参考文献
- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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