明代、南京の旧院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 08:46 UTC 版)
明代の余懐『板橋雑記』に詳しい。 東晋の時、建康という名称であった頃から、秦淮河沿いに妓楼が集まっていた。この地方では運河が発達しているため、色町も河に向かって開かれていた。明初の建てられた富楽院の後にできたものが、「旧院」である。科挙の試験会場である江南貢院が近くにあり、科挙・郷試の受験者・合格者の多くが客となった。旧院は「曲中」とも呼ばれ、上品な妓館がびっしりと立ち並んでいた。周りは塀で囲まれていたが、内部は美しい景観をしていた。清代に焼け落ち、復することはなかった。
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