新興寺 (江原特別自治道束草市)とは? わかりやすく解説

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新興寺 (江原特別自治道束草市)

(新興寺_(束草市) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 18:08 UTC 版)

新興寺

1989年に完成した大統一大仏像(青銅弥勒大仏)[1]
所在地 江原特別自治道束草市雪岳洞170
山号 雪岳山
宗派 曹渓宗華厳宗⇒教宗⇒曹渓宗)
寺格 曹渓宗の第3教区本寺
創建年 652年新羅真徳女王6年)
開基 慈蔵律師
中興年 1644年(神興寺)
中興 霊瑞・蓮玉・恵元
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新興寺(しんこうじ、シヌンサ)は、大韓民国江原特別自治道束草市雪岳山山中にある仏教寺院。韓国仏教の最大宗派である曹渓宗大韓仏教曹渓宗)の第3区教区本寺である。

歴史

曹渓宗大韓仏教曹渓宗)は、 652年新羅真徳女王6年)の香城寺の創建をもって、新興寺の創建としている。ただし香城寺のあった場所は今の新興寺の場所とは違うという。香城寺は698年孝昭王6年)の火災で焼失し、新たな場所に禅定寺として再建された。

李氏朝鮮の時代、太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に禅定寺の名前はなく、廃寺になったようである。 世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際も、存続を許された36寺院の中に禅定寺の名前はなく、引き続き廃寺のままだったようである(朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧)。

その後、禅定寺は復興したが、1642年仁祖20年)の火災で焼失した。その2年後の1644年(仁祖22年)、霊瑞・蓮玉・恵元という3人の僧侶が、それぞれの夢の中に現れた白い神の老人に導かれ、さらに新しい場所、現在の新興寺の場所に、神興寺を建立した。神興寺という寺名は夢に由来するものという。1995年に神興寺は新興寺に改名された。「新しい時代の寺院」という意味を込めたという。

文化財

  • 大統一大仏像(青銅弥勒大仏)
    完成は1989年。台座の高さは4.3メートル、仏像の高さは14.6メートル、あわせて18.9メートルになる。38億ウォン(当時のレートで410万ドル)をかけて製作したという。

脚注

  1. ^ コリアタイムズ1997年10月29日(水曜日)

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