新加納宿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/24 08:18 UTC 版)
新加納宿(しんかのうじゅく)は、中山道の間の宿(休憩用の町場)の一つ。鵜沼宿と加納宿間に存在した。
概要
関ヶ原の戦いで功績を挙げた坪内利定は、美濃国羽栗郡、各務郡20村、6,500石を治める大身旗本となり、拠点を松倉城から美濃国各務郡新加納村(現・岐阜県各務原市那加新加納町)に移し、新加納陣屋を築く。その後、中山道六十九次の鵜沼宿と加納宿間は、4里10町(約17km)あり、他の宿場に比べて距離が開きすぎたこともあり、新加納陣屋周辺が間の宿として発展し、形成された宿場町が新加納宿である。
宿の入り口は枡形が設けられ、小規模ながら宿場の形を形成していた。
各務原台地の西端に位置し、宿場の西は坂となっている。
史跡・みどころ
交通
- 公共交通機関
関連項目
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