斎藤茂右衛門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 斎藤茂右衛門の意味・解説 

斎藤茂右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/12 04:56 UTC 版)

 
斎藤 茂右衛門
時代 江戸時代中期
生誕 不明
死没 不明
主君 松平昌信信義
小島藩 用人家老[1]
テンプレートを表示

斎藤 茂右衛門(さいとう もえもん)は、江戸時代中期の小島藩[注釈 1]

経歴

延享3年(1746年12月、小島藩重臣の連名で中河内村[注釈 2]名主百姓から金32両を借用する旨の証文[注釈 3]を出した際、重臣の一人として連署しているのが見られる[注釈 4][3]。当時の藩政は江戸在府の幼主・松平昌信を戴く譜代家老の神尾彦平を中心とした運営が行われており、宝暦年間になると成人した昌信が藩政の実権を握ると神尾を中心とした藩中枢はほとんど一新されることになったが、茂右衛門は用人として引き続き中枢に留まっている[1]松平信義の代になる安永2年(1773年)家老に進んだ[5]

脚注

注釈

  1. ^ 江戸時代後期の文政年間にも同姓同名の小島藩士が見られる[2]
  2. ^ 静岡市清水区中河内。
  3. ^ 藩財政の逼迫による臨時の借用金。借金分は翌年度の年貢貢納から控除されるため、年貢の先納とみなされている[3]
  4. ^ 署名は家老の神尾彦平・下山甚内ほか、阿部七郎左衛門、斎藤、伊藤文太夫、井上雲平、奥平治部左衛門、大沢久右衛門、稲葉佐太夫の9名[4]

出典

  1. ^ a b 『清水市史』, p. 620.
  2. ^ 『文政武鑑』, p. 176.
  3. ^ a b 『清水市史』, pp. 616–618.
  4. ^ 『清水市史資料』, pp. 144–145.
  5. ^ 『清水市史』, p. 489.

参考文献

  • 清水市史編さん委員会 編『清水市史』 1巻、吉川弘文館、1976年。 
  • 清水市史編さん委員会 編『清水市史資料』 近世3、吉川弘文館、1967年。 
  • 『編年江戸武鑑 文政武鑑』 1巻、石井良助柏書房、1982年。 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  斎藤茂右衛門のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「斎藤茂右衛門」の関連用語

1
8% |||||

斎藤茂右衛門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



斎藤茂右衛門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの斎藤茂右衛門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS