久志宇賀主命
(探湯主 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 07:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動久志宇賀主命(くしうかぬしのみこと)は、古墳時代の豪族・中臣氏の祖。
概要
『日本書紀』の垂仁紀二十六年三月条の割注記事には、天皇が中臣連祖探湯主に対し誰に大倭大神を祀らせるべきか占わせたところ、渟名城入姫命が適任と出たとされる。
系譜
宝賀寿男による異説
久志宇賀主命は国摩大鹿島命と同じ垂仁朝の人物とされ、これに従えば大鹿島命とは同時代の人物となる。また久志宇賀主命の別名を探湯主命ともいい、この探湯の名は託宣の名を持つ神聞勝命にも通じる。これらの理由から久志宇賀主命が実際には神聞勝命か大鹿島命のどちらかと同一人物と考えられる。その場合、大鹿島命の実際の父は神聞勝命、母は伊豆国造の娘である美加々比売命と見られる。しかし神聞勝命と久志宇賀主命は早くに別人化したものと見られ、『新撰姓氏録』では同人説と別人説の二種類の世系が記載されている[2]。
脚注
関連項目
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