持田信夫とは? わかりやすく解説

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持田信夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 04:54 UTC 版)

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持田 信夫(もちだ のぶお、1917年大正6年)8月30日 - 1986年昭和61年)6月19日)は日本の実業家、元持田製薬社長・会長。東京都出身。同社創業者でもある持田良吉は父、3代目社長を務めた持田英は弟。写真通としても知られ、数々の作品を残した。

略歴

  • 1917年(大正6年) - 良吉の長男として生まれる。
  • 1942年(昭和17年) - 京都帝国大学薬学部を卒業。
  • 1945年(昭和20年) - 持田製薬へ入社、代表取締役に就任。
  • 1957年(昭和32年) - 同社代表取締役専務に就任。
  • 1964年(昭和39年) - 同社代表取締役社長に就任。
  • 1985年(昭和60年) - 同社代表取締役会長に就任。
  • 1986年(昭和61年) - 死去、享年68。
  • その他、日本製薬工業協会・東京医薬品工業協会各理事、東京商工会議所議員などを歴任した。

作品

  • 『七つの国の旅情―写真文集』 修道社 1961
  • 『インドの旅情』 美術出版社 1964
  • 『失われた文明―メキシコ・マヤ写真集』 講談社 1968
  • 『韓国と東南アジア―カメラの旅』 実業之日本社 1969
  • 『ボロブドール―よみがえる遺跡群』 講談社 1971
  • 『クロスビーの法則―あなたの世界を思うままにする』 日本生産性本部 1973
  • 『ヴェネツィア―沈みゆく栄光』 徳間書店 1976
  • 『新・西洋紀聞―あすの日本像を求めて』 徳間書店 1979
  • 『スコットランド風物詩―耀よう自然と中世への旅』 徳間書店 1981
  • その他、持田製薬の社歌(1968年3月制定、作曲:古関裕而)も作詞[1]した。

受章・受賞

  • 1978年(昭和53年) - イタリアコメンダトーレ勲章受章。
  • 1983年(昭和58年) - 科学技術者功労者賞受賞。
  • 1984年(昭和59年) - 紫綬褒章受章。

脚注

  1. ^ 社史『持田製薬グループ100年の歩み』2013年 口絵、第1部 創業から70年(ダイジェスト)1966-1968年(昭和41-43年)p17

参考

  • 交詢社 第69版 『日本紳士録』 1986年



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