慶光院家とは? わかりやすく解説

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慶光院家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/20 15:57 UTC 版)

慶光院家
家祖 慶光院盈子
種別 士族
主な根拠地 三重県
著名な人物 慶光院利敬
慶光院俊
凡例 / Category:日本の氏族

慶光院家(けいこういんけ)は、慶光院の院主であった慶光院盈子が興した家。はじめ宮橋(みやはし)と名乗った。通字は「(よし)」。

概要

慶光院は室町時代、伊勢国に創建された尼寺で、住持には神宮式年遷宮復興に尽力した中興開山の守悦清順周養がいたが、明治2年(1869年)、廃仏毀釈運動により廃寺となる。この時、最後の住持慶光院盈子は俗体のままであったため、男子を以て相続する家として明治3年(1870年)12月に家号を慶光院から改めて宮橋家を興した。

しかし、のちに慶光院に家号を復しており[注釈 1]、盈子は二条斉敬の庶子・二条利敬を養子に取り、家督を相続させた[1][2]。利敬とその庶子は先祖と同じように伊勢神宮に尽くし、俊は大宮司にまで至った。同族の利致も神事に仕えている。また、同じく同族の利映は技術者として活動し、株式会社メムス・コアの社長を務めている。

系譜

  • 系譜の構成上、長幼の順は考慮に入れなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
慶光院盈子1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
松平健雄
[注 1]
 
増子
[注 2]
 
利敬2
[注 3]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
清水ウタ
[注 4]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敏子
[注 5]
 
治子
[注 6]
 
利彰3
 
文子
[注 7]
 
 
 
 
 
 
 
系譜脚注
  1. ^ 松平容保次男、のち離縁[3]
  2. ^ 東園基愛の娘[4]
  3. ^ 二条斉敬庶子[2]
  4. ^ 京都・士族籍の女性[1]
  5. ^ 上野正雄継室[5]
  6. ^ 大久保利正室[6]
  7. ^ 二条正麿の娘[7]

脚注

注釈

  1. ^ 『人事興信録』に慶光院家が初めて掲載された第9版(1931年)には「慶光院盈子」とあり、この時点で既に慶光院姓であることは明らかである[1]

出典

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録』(第9版)人事興信所、1931年。 
  • 平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年。 
  • 『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館編、吉川弘文館、1996年。 
参考資料



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