恩田重信とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 恩田重信の意味・解説 

恩田重信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 00:24 UTC 版)

恩田 重信(おんだ しげのぶ、文久元年6月16日1861年7月23日) - 昭和22年(1947年7月30日)は、日本の薬学者明治薬学専門学校(現・明治薬科大学)の創立者[1]

略歴

信濃国松代城下 (現在の長野県長野市松代町) に松代藩士恩田十郎時篤の子として生まれる。1882年東京帝国大学医学部製薬学科を卒業。内務省に入省。千葉医学校附属病院薬局長を経て陸軍薬剤官から二等薬剤官となった。日清戦争日露戦争に従軍し、医学用語の統一を図り、「独和他国字書大全」、「独和新医学大字典」を刊行、陸軍医官であった森鴎外からも業績をたたえられた。

1902年(明治35年)東京市神田区に東京薬学専門学校(のち明治薬学専門学校に移行)を創立し初代校長となる。薬剤師の地位向上や市井における保健衛生の普及向上に努めた。1944年(昭和19年)郷里の生家に疎開。1947年(昭和22年)没。享年87。

主著

  • 『独和他国字書大全』
  • 『独和新医学大字典』
  • 『臨床備考日本薬局方字典』

出典

  1. ^ 林 1944, p. 18.

参考文献

  • 林 柳波『剛堂 恩田重信』明友藥剤師會、1944年1月1日。 
  • 「現代物故者事典 学術・文芸・芸術篇」 日外アソシエーツ、2012年
  • 創学者 恩田重信について 明治薬科大学ウェブサイト



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「恩田重信」の関連用語

恩田重信のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



恩田重信のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの恩田重信 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS