廉友良とは? わかりやすく解説

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廉友良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/28 16:54 UTC 版)

廉 友良(ヨム・ウヤン、朝鮮語: 염우양/廉友良1911年10月5日 - 没年不明)は、大韓民国教員政治家。第3代韓国国会議員[1]本貫坡州廉氏[2]。名前はヨム・ウリャン朝鮮語: 염우량)とも表記される[3]

経歴

忠清南道公州出身。公州永明高等学校を経て護国軍士官学校(1期生)卒。公州保安隊長、反託闘争委員会公州郡支部長、民族代表者大会公州郡代議員、公州能仁高等公民学校長などを務め[1]自由党創立の際にも名を連ねた。その後は自由党公州甲区党委員長を務め、1954年の第3代総選挙では公州甲地区より自由党の公認で立候補して当選し、国会議員となった[1]。1956年に同党院内副総務に選出された[4]。1967年5月には新民党を離党し韓国独立党に入党し[5]第7代総選挙に出馬するも落選、1969年3月19日時点では「改憲推進委員会」に参加していた[6]。以後の消息、近況ともに不明。

脚注

  1. ^ a b c 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年1月27日閲覧。
  2. ^ (133)파주 염씨(坡州廉氏)-53,539명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2015年2月19日). 2023年1月27日閲覧。
  3. ^ 激烈한 論戰을 展開” (朝鮮語). 부산일보 (1957年1月27日). 2023年1月27日閲覧。
  4. ^ 自由? 六議員 除名 再審 建議” (朝鮮語). 부산일보 (1956年6月25日). 2023年1月27日閲覧。
  5. ^ 韓獨에 집단入黨” (朝鮮語). NAVER Newslibrary. 경향신문 (1967年5月15日). 2023年1月30日閲覧。
  6. ^ "저사람은나보다政治(정치)잘해"”. NAVER Newslibrary. 2023年10月3日閲覧。



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