広岡屋幸助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 広岡屋幸助の意味・解説 

広岡屋幸助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/21 05:05 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

広岡屋 幸助(ひろおかや こうすけ、文政11年(1828年)‐大正7年(1918年7月14日)は江戸時代から明治時代にかけての江戸地本問屋

来歴

広幸、菊寿堂、栄泉堂と号す。姓は広岡氏。安政6年(1859年)から明治年間にかけて江戸の住吉町清次郎店、後に南新堀2丁目定兵衛店、深川佐賀町忠兵衛地借、明治26年(1893年)には日本橋呉服町26番地において地本問屋を営業している。安政6年5月に地本草紙問屋に加入した。歌川芳房落合芳幾月岡芳年錦絵を出版している。

大正7年7月14日、91歳で没した。

作品

  • 歌川芳房 「見立十干之内 普請の木 此下猿吉郎」 大判 錦絵 万延1年(1860年)
  • 落合芳幾 「国芳死絵」 大判 錦絵 文久1年(1861年)
  • 落合芳幾 「時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂」 大判3枚続 錦絵 明治1年(1868年)
  • 月岡芳年 「城州伏見下鳥羽合戦之図」 大判3枚続 錦絵 明治7年(1874年)

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

広岡屋幸助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



広岡屋幸助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの広岡屋幸助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS