常妃 (道光帝)
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常妃(じょうひ、満洲語: ᡝᠨᡨᡝᡥᡝᠩᡤᡝ
ᡶᡝᡳ 転写:entehengge fei[1]、1808年12月31日(嘉慶13年11月15日巳時[2]) - 1860年10月7日)は、清の道光帝の側室。満洲正白旗の出身。姓は赫舎里(ヘシェリ)氏(Hešeri hala)。誕生日は嘉慶9年11月15日(1804年12月16日)。父は正三品按察司按察使の容海(ルンハイ)。母はイルゲンギョロ(伊爾根覚羅)氏(Irgen gioro hala)。
生涯
道光2年(1822年)、八旗選秀により、珍貴人に封ぜられ、入宮した。
道光4年(1824年)、珍嬪に冊封された。
道光5年(1825年)、珍妃に冊封された。
道光6年(1826年)、珍嬪に降格された。
道光9年(1829年)、常貴人に降格された。
道光30年(1850年)、道光帝の崩御により即位した咸豊帝により、皇考常嬪に尊封された。
咸豊10年8月25日(1860年10月7日)、円明園がイギリス・フランス連合軍により破壊された時に驚愕し、円明園で薨去した。同治帝が即位すると、常妃に追封され、慕陵の妃園寝に陪葬された。
脚注
参考文献
- 『晋封珍貴人珍嬪冊文』
- 『星源集慶』
- 『清宣宗実録』
- 『清史稿』文宗本紀
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