帰謬法 (修辞学)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/23 06:37 UTC 版)
修辞学における帰謬法または背理法(きびゅうほう、はいりほう、羅: Reductio ad absurdum)とは、ある事柄の否定的見解が不条理ないし馬鹿げた結論、あるいは矛盾する結論になることを以て、ある事柄の正しさを主張しようとする論法である[1]。もしくは、起こり得る事実や選択(シナリオ)を列挙した上で、それぞれの結論が不条理や馬鹿げた結論になることを以て、それ以外の残ったものが正しいとする論法とも言い換えられる。修辞学者の佐藤信夫の分類では残余論法(羅: expeditio)の一種に分類される[2]。
例えば
- 地球は平らではない。さもなければ、人々は端から転落してしまう。
- 最小の正の有理数は存在しない。存在すると仮定した場合、それは2で除算することによってさらに小さな値が存在する。
最初の例は、前提の否定が私たちの感覚に反した馬鹿げた結論をもたらすことで、前提が正しいことを間接的に主張している。2番目の例は数学的な意味での背理法(帰謬法)であり、前提の否定により論理的な矛盾を生じさせることによって命題の正しさを論証している[3]。
ギリシャ哲学
帰謬法はギリシャ哲学では広く用いられてきた。帰謬法の最古の例はクセノパネス(紀元前570-475年)の風刺詩である[4]。かつてホロメスは神を擬人化し、人の過ちは神に由来すると述べた。これにクセノパネスは、もし、馬や牛が絵を描くことができるのであれば、彼らは神を馬や牛の形で描くに違いない。しかし、神々が両方の形を持つことはありえないからこれは矛盾である。よって神を擬人化したり、人の過ちを神々に帰属させるのは誤りだと論じた。
ギリシャの数学者たちは帰謬法を使って基礎的な命題の証明を行っていた。エウクレイデス(ユークリッド)と、アルキメデスは初期の好例である[5]。
ソクラテスの論説に言及したプラトンの初期の対話篇や、ソクラテス式問答法と呼ばれる形式的な弁証法に帰謬法が見られる[6]。通常、ソクラテスの相手は、問題がないと思われる主張(命題)を立てる。それに応じてソクラテスは段階的な推論を通し、またその背景にある仮説や前提を提示し、その主張が不合理や矛盾した結論に導かれること、最初の命題が誤っていることを相手に認めさせ、アポリアを受け入れさせる[7]。この手法はアリストテレスの研究対象でもあった[8]。ピュロニスト(Pyrrhonists、懐疑論者)や反アカデメイア派(Academic Skeptics)は、ヘレニズム哲学に基づく学校の教義(ドグマ)に異議を唱えるため、帰謬法に基づく議論を広範に仕掛けた[3]。
仏教哲学
中観派に由来する仏教哲学の多くは、様々な本質主義的な考えが、いかに不条理な結論をもたらすかを、帰謬法的な推察を通して示すことに焦点を当てている。物質や本質はどのような理論を持っていても永続的なものではなく、したがって変化・因果・感覚(知覚)などの現象(ダルマ)は、本質的存在の空であることを示すために用いられる[9]。
無矛盾律と間接証明法
アリストテレスはある事柄(命題)において、真と偽が並立することはありえないとする無矛盾律のなかで、矛盾と偽の関係を明示した[10][11]。つまり、命題
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