布施左京亮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:43 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動布施 左京亮(ふせ さきょうのすけ、生没年不詳)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。右京亮とも。
略歴
畠山尾州家の家臣に大和衆としてその名が見受けられる。畠山貞政に従っていたとされ、紀州征伐ののち豊臣家に降伏した。
豊臣秀長が大和へ入国すると家臣になった。文禄4年(1595年)豊臣秀保にに大和の一部の所領を安堵される。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍に属し浪人となった。
大坂の陣が始まると大坂城に入り、大野治房隊の所属となった[1]。
樫井の戦いでは塙直之らと共に戦っている。その後消息不明となる。
参考資料
- 「戦国人名事典 コンパクト版」
- 『中世後期畿内近国守護の研究』 弓倉弘年、清文堂出版、2006年
- 『畿内戦国期守護と地域社会』小谷利明、 清文堂出版、2003年
出典
関連項目
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