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工藤寛得

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/08 07:59 UTC 版)

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工藤 寛得(くどう かんとく、1849年1月11日(嘉永元年12月17日[1][2])- 1911年明治44年)12月17日[3])は、明治時代の政治家貴族院多額納税者議員。幼名は六太郎[4]

経歴

陸奥国岩手郡大更村岩手県北岩手郡大更村、西根村、西根町を経て現八幡平市大更)で[4]、工藤織人の長男として生まれる[1]。生家は古くから林業や商業などで財を成した[4]。藩校作人館を経て、江戸に出て安井息軒の門に学び[4]、帰郷後の1879年(明治12年)北岩手郡会議員に当選する[3]自由民権運動に際しては多くの資金援助を行った[4]。ほか、北岩手郡各村連合会議員[3]岩手県会議員、岩手県農工銀行発起人などを歴任した[4]

1890年(明治23年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から翌年の6月12日[6]まで在任[3]1911年(明治44年)には直接国税4140円を納税する県下一の大地主となり、郷学校の設立、道路や橋梁の改修など地方振興に尽力した[4]。大更八坂神社の境内に顕彰碑がある[4]

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録 第3版』く19頁。
  2. ^ 『岩手人名辞典』97頁。
  3. ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1960, 190頁.
  4. ^ a b c d e f g h 竹内ほか 1998, 153頁.
  5. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
  6. ^ 『官報』第2385号、明治24年6月13日。

参考文献




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