川崎憲次郎とは? わかりやすく解説

川崎憲次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 07:09 UTC 版)

川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - )は、大分県佐伯市[1]出身の元プロ野球選手投手)、野球解説者、野球指導者。妻は堀恵子。長女はモデルの川崎琴之。


注釈

  1. ^ 川崎は、1989年に吉村が大怪我から復帰した初打席にも投球し、内野ゴロに打ち取っている。
  2. ^ レッドソックス以外にもクリーブランド・インディアンスフィラデルフィア・フィリーズシカゴ・カブスコロラド・ロッキーズが獲得に名乗りを上げていたが、特にレッドソックスは最終的な提示条件で2年契約・最低保障金5億円と熱心に勧誘しており、川崎本人も「『アメリカに行くならここ(レッドソックス)にしよう』と思った。家族もMLB挑戦を全面的にサポートする準備をしてくれていたが、自分を含め家族全員の幸せを考えて『日本残留の方がベターだ』と考え断念した」と述べている[11]
  3. ^ 入団当初は3年契約と発表されていたが、実質的には4年目の契約について川崎にオプション契約の選択権がある契約だった[14]。なお出来高の権利は2003年オフの契約更改で本人が放棄している[14]
  4. ^ 1997年 - 1999年の中日は巨人戦で3年連続で勝ち越しを記録していたが、2000年は本拠地ナゴヤドームで2勝12敗と大幅に負け越した[2]
  5. ^ 1999年オフにそれまで背番号20を着用していた宣が引退しており、2000年シーズンは1年間空き番号となっていた。
  6. ^ その条件は若松勉監督やコーチ・選手全員が球団に「川崎残留」を強く要望した結果出されたものだった[11]。なお一部では「川崎側が3年12億円契約を要求した」と報道されたが、本人は「そこまで無謀な条件は望んでいなかった」と否定している[11]
  7. ^ 2001年5月12日にナゴヤ球場で開かれた対サーパス神戸オリックス・ブルーウェーブの二軍)6回戦にて先発登板したが、2回を投げ7打数2被安打で2番手投手・中里篤史に交代し降板した[18]
  8. ^ 同年6月25日に開催されたウ・リーグの対近鉄前期8回戦(藤井寺球場)で、シーズン初先発登板し、5回1失点(打者18人に66球を投げ、被安打2)で移籍後初勝利を挙げている[22]
  9. ^ 後に落合は「投手コーチに話をせずに(川崎を)開幕投手を決めたのは、あの一度きりだ」と語っている。落合は川崎の開幕起用理由について「補強なしの全選手横一線のチームに刺激を与えることと、先発投手についての情報の漏洩がないかを確かめること」と後に語っている[29]
  10. ^ 関東地方の試合を中心として不定期出演だが、年に1度だけ、ナゴヤドーム主催試合で行われる「ゆかたデー」開催日に担当する事が多い(川崎自身も浴衣姿で解説を務めたことがある)。
  11. ^ 基本的にセ・パ問わず裏送り中継での出演が中心で、本番を担当するのは年に数試合と非常に少なかった。2011年のシーズンは裏送り・予備のみで本番カードの出演はなかった。中日OBであることから、東海ラジオ ガッツナイターの裏送り制作時は解説者として出演することが多く、テレビ愛知のゲスト解説者でもあることから、テレビ愛知が関東の試合などを中継した翌日などに出演することもある。

出典

  1. ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、170ページ
  2. ^ a b c d e f g h 中日ドラゴンズ 2001, p. 18.
  3. ^ 中日ドラゴンズ 2001, p. 20.
  4. ^ Company, The Asahi Shimbun. “好投手と投げ合う津久見・川崎、スーパープレーが救った - 投票!甲子園ベストゲーム47 | 高校野球(甲子園):バーチャル高校野球 | スポーツブル (スポブル)”. バーチャル高校野球. 2021年9月11日閲覧。
  5. ^ 『朝日新聞』1988年12月4日付朝刊 (14版、27面)
  6. ^ 焼肉は1回10万円以上。川崎憲次郎が明かす「プロ野球とお金」の話
  7. ^ 『朝日新聞』1993年11月2日付朝刊 (14版、25面)
  8. ^ 早世のマドンナたち② 可愛かずみ(3)」『アサ芸+』、徳間書店、2012年7月9日、2013年6月28日閲覧 
  9. ^ 打者も恐れる攻めの変化球・シュート 最高の使い手は?【フルタの方程式AWARDS】 フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】2022/01/25 (YouTube、2022年3月19日閲覧)
  10. ^ a b ホームラン 2001, p. 47.
  11. ^ a b c d e f g h 川崎憲次郎 (2000年12月20日). “中日ドラゴンズへFA移籍した川崎憲次郎投手から~ファンの皆さんへ”. 日本プロ野球選手会 公式ホームページ. 日本プロ野球選手会. 2003年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月2日閲覧。
  12. ^ 『朝日新聞』2000年12月3日付朝刊 (14版、19面)
  13. ^ ベースボール・マガジン社 2001, p. 37.
  14. ^ a b c 島田明「川崎、「捨て身ではい上がる!!」 25%減の1億5000万円でサイン、出来高放棄」『中日スポーツ』中日新聞社、2003年12月17日。2020年2月4日閲覧。オリジナルの2004年12月10日時点におけるアーカイブ。
  15. ^ 青山卓司「川崎、「どんな条件でも判」 勝負の4年目 「投げられるだけで幸せ」」『中日スポーツ』中日新聞社、2003年11月28日。2020年2月4日閲覧。オリジナルの2004年12月9日時点におけるアーカイブ。
  16. ^ a b c 桃園書房 2006, p. 81.
  17. ^ ベースボール・マガジン社 2001, pp. 40–41.
  18. ^ ベースボール・マガジン社 2001, p. 743.
  19. ^ 手塚宣武 編『完全保存版 プロ野球セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2002』 第26巻第3号(通算264号)、日本スポーツ出版社〈『ホームラン』2002年3月号増刊〉、2002年3月31日、97頁。 
  20. ^ ベースボール・マガジン社 2001, pp. 16–17.
  21. ^ 手塚宣武 編『完全保存版 プロ野球セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2003』 第27巻第3号(通算270号)、日本スポーツ出版社〈『ホームラン』2003年3月号増刊〉、2003年3月29日、65頁。 
  22. ^ 『中日新聞』2003年6月26日朝刊第12版第一スポーツ面「川崎が今季初先発 5回1失点、白星 ウエスタン・リーグ」(中日新聞社) - 『中日新聞』縮刷版 2003年(平成15年)6月号1167頁。
  23. ^ 手塚宣武 編『完全保存版 プロ野球セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2004』 第28巻第3号(通算278号)、日本スポーツ出版社〈『ホームラン』2004年3月号増刊〉、2004年3月29日、49頁。 
  24. ^ a b 月刊ドラゴンズ & 2004-11, p. 13.
  25. ^ 日めくりプロ野球 2012年6月 【6月17日】2003年 球宴中間発表 登板なしの川崎憲次郎 ファン投票1位のナゾ」『スポーツニッポン』スポーツニッポン新聞社、2012年6月17日(原著2003年6月17日)。2020年3月2日閲覧。オリジナルの2020年3月2日時点におけるアーカイブ。
  26. ^ 川崎憲次郎 (2003年6月23日). “中日ドラゴンズ川崎憲次郎選手から~オールスターのファン投票について”. 日本プロ野球選手会 公式ホームページ. 日本プロ野球選手会. 2003年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月2日閲覧。
  27. ^ 『中日新聞』2003年7月2日夕刊第10版第二社会面10頁「川崎やはり球宴辞退 ファン投票1位、自分への激励 『実績ある選手の出る場所』」(中日新聞社)
  28. ^ a b 月刊ドラゴンズ & 2004-11, pp. 13–14.
  29. ^ 森繁和著、参謀―落合監督を支えた右腕の「見守る力」講談社、2012年、P54-P55,P58
  30. ^ a b “悔幕”川崎「入れ込みすぎた」 1274日ぶり1軍登板”. 中日スポーツ (2004年4月3日). 2004年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月11日閲覧。
  31. ^ a b c 月刊ドラゴンズ & 2004-11, p. 14.
  32. ^ 落合劇場、開幕白星スタート ビックリ 川崎先発、5点差大逆転”. 中日スポーツ (2004年4月3日). 2005年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月11日閲覧。
  33. ^ 川崎まだ投げさせる 1死も取れずKOそれでも 落合監督”. 中日スポーツ (2004年5月1日). 2004年12月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年4月11日閲覧。
  34. ^ 落合博満、野村克也、原辰徳 まさかの奇策も…名将たちは“初の開幕戦”でどんな采配を見せたのか”. デイリー新潮 (2022年3月13日). 2022年4月11日閲覧。
  35. ^ 『ベースボール・レコード・ブック2005』ベースボール・マガジン社、2004年12月25日第1版第1刷発行、765頁。ISBN 978-4583038339
  36. ^ 『ベースボール・レコード・ブック2005』ベースボール・マガジン社、2004年12月25日第1版第1刷発行、777頁。ISBN 978-4583038339
  37. ^ 川崎憲次郎が今も忘れない落合監督の「オレの仕事は選手のクビを切ること」発言と引退試合で流してくれた涙 Sportiva(水道博)、2022年9月26日、同日閲覧
  38. ^ [虎四ミーティング]川崎憲次郎(プロ野球解説者)<後編>「“怖さ”の松井と“嫌らしさ”の川相」 - 2012年3月23日
  39. ^ 川崎憲次郎氏 一軍ブルペンコーチ就任のお知らせ - 2012年10月31日
  40. ^ コーチとの来季契約についてロッテ球団公式サイト2014年10月5日配信
  41. ^ a b SPORTS ウォッチャー プロ野球キャンプ 中畑清が舞台裏潜入取材!(他) 2018/02/03(土)23:00放送 テレビ東京 TVでた蔵
  42. ^ 香川OG 新コーチ就任のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2018年3月7日)
  43. ^ “香川OG 投手コーチに川崎氏(元ヤクルト)元広島、天野氏(高松市出身)も”. 四国新聞. (2018年3月8日). https://www.shikoku-np.co.jp/sports/iblj/20180308000146 2018年3月9日閲覧。 
  44. ^ 香川OG 川崎憲次郎投手コーチ退団のお知らせ - 四国アイランドリーグplusニュースリリース(2018年12月12日)
  45. ^ “大分B-リングス ホーム開幕戦飾れず”. テレビ大分. (2021年3月27日). https://www.tostv.jp/news/7812.html 2021年3月28日閲覧。 
  46. ^ saiki.tvの投稿(1587879841332484) - Facebook


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