川上不白とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 娯楽 > 茶人 > 川上不白の意味・解説 

川上不白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

川上 不白(かわかみ ふはく、享保4年3月3日1719年4月22日〉 - 文化4年10月4日1807年11月3日[1])は、江戸千家を創始した茶人である。名は尭達、新柳。別号に宗雪、孤峰、黙雷庵。

経歴

享保4年(1719年)、紀伊新宮藩水野家の家臣であった川上六太夫の次男として生まれた[2]

京都表千家7代如心斎の内弟子となり七事式の制定にも参画[2]。1750年(寛延3年)、如心斎の江戸で千家の茶道を広めたいという意を汲んで江戸に移った[2]。その後、田沼意次のほか大名の島津氏毛利氏らが入門するなど、不白による千家の茶道が江戸に広がると、不白は表千家から江戸千家を開いた。文化4年(1807年)、89歳で江戸の隠宅であった水野家下屋敷に置いた蓮華庵で死去した。墓所は台東区安立寺

不白と熊野

川上不白は熊野新宮の出身で故郷にたびたび帰省していた[3]。その縁で那智の滝では2008年から御献茶式が開催されている[3]。新宮市、新宮商工会議所、きのくに活性化センターでは「茶人川上不白とまちづくり」の共同事業も実施している[3]

刊行文献

  • 『川上不白茶会記集』、校訂・翻刻
  • 『不白筆記 付・孤峯川上不白道具帳写』、翻刻解説
    川上宗雪監修、谷晃編、中央公論新社、2019年。生誕三百年記念出版

脚注

  1. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ a b c 川上不白と江戸千家-花ひらく茶の湯の妙道- 江戸東京博物館、2021年10月3日閲覧
  3. ^ a b c きのくに活性化センター設立10周年記念誌 きのくに活性化センター設立10周年記念誌、2021年10月3日閲覧

参考文献

関連項目

外部リンク





川上不白と同じ種類の言葉

このページでは「ウィキペディア」から川上不白を検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書から川上不白を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書から川上不白 を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川上不白」の関連用語

川上不白のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川上不白のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川上不白 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS