島津亀寿
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島津 亀寿(しまづ かめじゅ、元亀2年4月26日(1571年5月19日) - 寛永7年10月5日(1630年11月9日)[1])は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。島津義久の三女。母は種子島時尭の娘・円信院殿。島津久保の室、後に島津忠恒(家久)の室。異母姉は御平。同母姉は新城。養子は島津光久。
- ^ 朝日日本歴史人物事典
- ^ 田端 1996, p. 192.
- ^ a b 田端 1996, p. 191.
- ^ 田端 1996, p. 193.
- ^ a b c d e f g h i j “今年はどんなお顔?「じめさあ」のお化粧直し”. 鹿児島県 (2012年12月10日). 2014年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e “じめさあ、キリリ太眉に 鹿児島、持明院様が化粧直し”. 朝日新聞 (2013年10月5日). 2014年6月16日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 桐野作人 (2011年10月17日). “さつま人国誌 再考・ジメサアの由来”. 南日本新聞. 2014年6月16日閲覧。
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