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岡部勇作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 10:03 UTC 版)

岡部勇作
おかべ ゆうさく
生年月日 1859年
出生地 日本 能登国羽咋郡荻谷村(現石川県羽咋郡宝達志水町)
没年月日 1899年3月24日
出身校 金沢市変則中学校
前職 石川県製糸試験員

在任期間 1897年9月29日 - 1899年3月24日


羽咋郡会議員

樋川村会議員
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岡部 勇作(おかべ ゆうさく、1859年(安政6年4月[1][2])- 1899年(明治32年)3月24日[2][3])は、明治時代の政治家貴族院多額納税者議員

経歴

岡部直造の長男として、能登国羽咋郡荻谷村(石川県羽咋郡樋川村、志雄村、志雄町を経て現宝達志水町)に生まれる[1]岡部忠澄の後胤[1]。7歳にして同郡白瀬村(北邑知村、邑知村、邑知町、羽咋町を経て現羽咋市)の私塾に入り、14歳で金沢市変則中学校に入り、また藤田維正に漢籍を学んだ[4]

1893年(明治26年)石川殖産会会員となり、ついで同県製糸試験員に任じた[4]。ほか、樋川村会議員、羽咋郡会議員[2]石川県会議員、所得税調査委員、義倉会議員、衛生会議員、学校商議会員などを歴任した[5]

1897年(明治30年)石川県多額納税者として貴族院議員に互選され[2]、同年9月29日に就任したが[6]、在任中に死去した[3][7]

親族

  • 甥:岡部為吉(広業銀行頭取)[3][8]

脚注

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  1. ^ a b c 広田 1898, 131頁.
  2. ^ a b c d 衆議院、参議院 1960, 186頁.
  3. ^ a b c 大植 1935, 559頁.
  4. ^ a b 広田 1898, 132頁.
  5. ^ 広田 1898, 132-133頁.
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、9頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、10頁。
  8. ^ 人事興信所 1915, を109頁.

参考文献




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