岡本正富とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 岡本正富の意味・解説 

岡本正富

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 11:08 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

岡本 正富(おかもと まさとみ、永禄9年(1566年) - 天正12年5月7日1584年6月15日))は、下野国塩谷郡戦国武将。清九郎、吉方[1]。父は岡本正親。姉は塩谷義通の妻。兄に照富

沿革

正富は、岡本正親の次男として松ヶ嶺城に生まれ、兄とともに京の謡曲師道慶に師事し、謡、鼓などを習う。

天正12年(1584年)5月7日、父と兄照富とともに参戦した佐野沼尻の戦いにおいて、兄とともに北条方の武将広沢三郎、向笠内蔵助と戦に先立ち一騎討ちを行い、これに敗れて兄とともに討ち死にした。享年19。戒名は孝叔院月山全心大居士。当時、父正親が皆川広照に使えていた関係から、当初、正富の亡骸は兄とともに大中寺に葬られるが、慶長2年(1597年)、正親が2人の息子のために、その戒名を取り心月山鏡山寺という菩提寺を創建し、現在はここに眠る。

脚注

  1. ^ 那須記に記された正富の名(岡本次郎五郎吉方)であるが、那須記の記述には誤解が多く、正富が実際に名乗っていたかは不明。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岡本正富」の関連用語

岡本正富のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岡本正富のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岡本正富 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS