山村座 (貝塚市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 07:30 UTC 版)
山村座(やまむらざ)は、かつて存在した日本の映画館である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13]。正確な年代は不明であるが1920年代、1929年(昭和4年)にはすでに大阪府泉南郡貝塚町大字近木町(現在の同府貝塚市近木)に開館している[1]。第二次世界大戦後はいち早く復興し、多くの日本映画を上映した[6]。1963年(昭和38年)には、前年に閉館した市内の東映系の劇場に代って貝塚東映(かいづかとうえい)と改称したが[10][11]、改称3年後の1966年(昭和41年)には閉館した[12][13]。同市内に本拠地のあったニチボー貝塚(のちのユニチカ・フェニックス)に所属した、「東洋の魔女」のひとり河西昌枝が、同館に通うことが「唯一の楽しみ」と語った映画館である[14]。
- ^ a b c d e f g h i j 総覧[1930], p.584.
- ^ a b c d 昭和7年の映画館 大阪府下 31館 Archived 2016年3月5日, at the Wayback Machine.、中原行夫の部屋(原典『キネマ旬報』1932年1月1日号)、2014年1月22日閲覧。
- ^ a b c d 年鑑[1942], p.10-109.
- ^ a b c 年鑑[1943], p.472.
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- ^ a b c d e f g h 総覧[1955], p.115-117.
- ^ a b 便覧[1960], p.180.
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- ^ a b c d e f g h i j k 便覧[1963], p.170.
- ^ a b c d e f g 便覧[1964], p.161.
- ^ a b c d e 便覧[1966], p.128.
- ^ a b c d e 便覧[1967], p.120.
- ^ a b あたっく 6、貝塚市・貝塚市教育委員会、2008年4月5日発行、2014年1月22日閲覧。
- ^ 貝塚中央商店街振興組合、貝塚市商店連合会、2005年現在、2014年1月23日閲覧。
- ^ 同盟[1936], p.91-94.
- ^ 同盟[1948], p.130.
- ^ 便覧[1975], p.113.
- ^ 便覧[1977], p.113.
- ^ 同盟[1949], p.13.
- ^ 第24回衆議院議員選挙 大阪5区・永吉誓順、ザ選挙、VoiceJapan, 2014年1月22日閲覧。
- ^ 年鑑[1963], p.288.
- ^ 便覧[1958], p.158.
- ^ 第5回 会員ネットワーク、貝塚商工会議所、2014年1月22日閲覧。
- ^ 深川料亭、ぐるなび、2014年1月22日閲覧。
- ^ 万代百貨店、貝塚市商店連合会、2005年現在、2014年1月23日閲覧。
- ^ 2009年3月の最新情報、万代、2009年3月付、2014年1月23日閲覧。
- ^ 貝塚店、万代、2014年1月23日閲覧。
- ^ 大阪府貝塚市近木町1028番地、Google ストリートビュー、2009年7月撮影、2014年1月22日閲覧。
- ^ 名簿[1981], p.110.
- ^ 名簿[1982], p.112.
- 1 山村座 (貝塚市)とは
- 2 山村座 (貝塚市)の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
- 山村座 (貝塚市)のページへのリンク