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山本謙一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/15 03:38 UTC 版)

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山本 謙一(やまもと けんいち、1922年11月18日 - 2002年2月26日[1])は、青森県南津軽郡大鰐町出身のクロスカントリースキー選手。オリンピアン。

来歴

旧制五所川原農林学校明治大学 → 青森営林局

中学時代から才能を発揮し、1940年の第18回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人長距離(18km)・少年の部で優勝。その後明大に進み、1942年から1943年の同大会個人長距離・成年の部を連覇。同じ1942年~1943年の全日本学生スキー選手権大会では、リレーで連覇した他、1943年の個人長距離で前年王者の落合力松(明大)を破り優勝。

戦後1948年に再開された全日本スキー選手権大会個人長距離では、ライバル落合に敗れるが、翌1949年の同大会同種目は山本が制した。1952年オスロオリンピックの代表に選出され、クロスカントリー男子18kmでは80人(完走75人)中22位に入る健闘を見せた。山本らは、オスロで五輪終了直後に開催されたホルメンコーレンスキー大会にも出場したが、山本が登場すると観衆から大歓声が上がったという。

2002年2月26日、肺炎のため79歳で死去した。

脚注

  1. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1157頁。

参考文献

  • 小川勝次「日本スキー発達史」朋文堂、1956年
  • 菅原悦子「歴史ポケットスポーツ新聞冬季オリンピック」大空出版、2009年

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