山岡薬医
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/05 22:55 UTC 版)
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。2023年1月)
( |
山岡 薬医(やまおか やくい、生没年不詳)は、戦国時代の武将。吉良氏の郎党 [1]。
略歴
吉良義昭に仕え、永禄4年(1561年)善明堤の戦いに従軍した。4月15日、尾崎修理の放った矢に当たって深手を負った松平好景に走り寄り、その首を討ち取った [2] [3]。
脚注
- ^ 六ツ美村是調査会 1926, p. 618.
- ^ 早稲田大学出版部 1913, p. 142.
- ^ 愛知県西尾市 1973, p. 271.
参考文献
- 『六ッ美村誌』(六ツ美村是調査会 1926年、618p)
- 『通俗日本全史第9巻』(早稲田大学出版部、1913年、142p)
- 『西尾市史: 古代・中世・近世(上)』(愛知県西尾市 、1973年、271p)
外部リンク
- 山岡薬医のページへのリンク